この記事は
バイロン・ケイティによる「A Mind at Home with Itself」(英語のみ)という本について書かれていることを紹介していきます。今回は「悟る」ということについて。
悟りとは誰かが修行した末に手に入れる大きな気付きのように言われていますが、ケイティの考えは違います。悟りとはなんぞやー?
Contents
今回参考にする本「A Mind at Home with Itself」
最近読んでいるバイロン・ケイティの本はこちら!
A Mind at Home with Itself: How Asking Four Questions Can Free Your Mind, Open Your Heart, and Turn Your World Around (English Edition)
「ホームにいるココロ」と勝手に訳して読んでいます。
まだ翻訳が出てないこちらの本。
わたくし、つたないながらも必死で翻訳しながら読んでおります。
こちらの本では、「金剛般若経」という紀元前に書かれた経典と、ケイティ哲学の共通点を書いている本です。
ずーっと昔に誰かがたどり着いた真理と、カリフォルニアの女性が突然気づいてから語っていることが一緒なんて!
ロマンがあふれて止まりません。(よだれ
Byron Katie(バイロン・ケイティ)とは
はまだが尊敬するバイロン・ケイティはカリフォルニアに住むおばあちゃんです。
「自分の考えを信じれば、私は苦しむ。信じなければ、苦しまない。」
私はこの言葉に救われて生きています。彼女についての記事はこちら!
金剛般若経とは
金剛般若経とは、大乗仏教の般若経典の一つです。
内容は、釈迦と弟子の一人スブーティ(須菩提ーしゅぼだい)との会話です。
スブーティが、菩薩について釈迦に問います。そして、釈迦がそれについて答える。そんな内容です。
悟りとは
「ホームにあるココロ」の序章部分で、悟りについて語られています。
金剛般若経で語られる「悟り」。ケイティの言う「悟り」。
興味深かったので、記録したいと思います。
金剛般若経のいう悟り
金剛般若経では、「悟りなんてものはない」と言われています。
禅マスター(禅の僧侶)のHuam-Po(黄檗希運ーおうばくきうん)も、
「悟りとは、悟りなんてないということを理解することである。」と言ったのだそうです。
(※宗教学には全くうとい私。Huam-Poが誰なのだか、わかっておりません。笑)
本書は問いかけます。なぜ、彼らは悟りなんてものがないと言ったのでしょうか。
バイロン・ケイティのいう悟り
バイロン・ケイティは、「悟りとは非常にシンプルなものなのだ」と定義する形で僧侶や経典に同意しているのです。
彼女曰く、「悟りとは、目の前の世界を体験する簡単な方法です。もしあなたが世界は優しくないと感じたら、問いかけをして、世界が実際は優しいことに気付けばいい」のだと。
現実が優しいことに気づくと、自分にももっと優しくなり、自由になり、不安からぬけだすことができる。
それが悟ることだというのです。
彼女は悟りという言葉を、
「精神的にすごい言葉として使うのではなくて、現実的に、ストレスになる考えを理解するために使うのが好き」
だと。
例えば、ケイティは「母は私を愛していない」という強いビリーフを持っていました。
現実に目覚めた後もそのビリーフは出てきて、そのたびに彼女は問いかけをします。
「それは本当ですか?」と深く問いかけをしていくと、そのビリーフは本当ではないと彼女は気づくのです。
そして、彼女はその新しいビリーフを「悟った」のです。
彼女は言います。
「悟りとは、とてもミラクルなことだと人は思うかもしれないけど、そうではない。」
「自分自身のストレスになっている考え方に問いかけ、それが事実ではないと気づくこと。」
「その気付きを得た時、ブッダ(釈迦)が自由を得た瞬間と同じくらい私たちも自由になれる。」
終わりに
結局悟りとは、冷静になることなのだと実感したはまだです。
ストレスな考えがある時
例えば「何で彼は振り向いてくれないんだ!」とか「結局誰も私のことなんか好きじゃないんだ!」とか
そんなことを考えている時は頭は混乱状態です。現実を見つめられてなんていません。
その時に静かにそれらの考えに問いかけていくと、現実がちゃんと見えて、冷静さを取り戻していくのです。
冷静になると、「なーんだ私はちゃんと満たされていたんだなぁ。ナンダナンダ!」と気づく。
その結果を「悟り」と呼ぶのであれば、私たちは日常で何回も悟ることができる。
また違う考えが出てきて「きー!!」と混乱すれば、また問いかけをして、また悟る。
ケイティは、「私たちは修行するためにインドへ行く必要はない。師匠は自分の周りにたくさいんいる。」と言っています。
なんとも現実敵で、素敵です。